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UPDATE 2013.01.07 |
時代の転換点を読む 2013年1月3日号
著者:ボブ・ホウイ
時代を象徴するコメント:
「新金ぴか時代の階級闘争」
「あらゆる階層のアメリカ人たちが、自分たちは巨大銀行、企業、大富豪たちがゴールドをかすめ取るたびに犠牲にされていることに気づきはじめている。大多数が立法府は芯まで腐敗していて、投票してくれる人たちより、献金してくれる連中の言うことばかり聞いていると感じている」
——2012年12月21日ロイター通信報道
大手マスコミの発信にしては、この報道はリバタリアンがかっている。とうとうこの連中でさえ、リベラル派の腐敗を気にしはじめたということだろうか。1960年代半ばまでは、リベラリズムというのは、個人の自由と政府権限の抑制を意味する主張だった。その後、「リベラル派」の連中は、リベラルということばの意味から自由(リバティ)を抜き去るようなことばかりやってきた。そして、今週(12月31日〜1月4日)の「財政の崖」を巡るドタバタ騒ぎを見ていると、リベラル派のゴロツキどもは、一挙に自由を通りこして、財政の放蕩もの(リバタリアン)になってしまったようだ。